稀勢の里の子供時代の性格はユーモラスな人気者?若い頃の画像も!
2017/02/14
こんにちは、お相撲さん大好き!管理人の花です。
前回の記事「稀勢の里の両親(父、母)の出身は?子供時代の性格や昔の画像も!」に引き続き、今回も新横綱・稀勢の里の子供時代の性格について書いてみたいと思います。
今は無口なイメージのある稀勢の里ですが、子供時代は意外にもひょうきんな性格だったという話が多く聞かれます。
そこで今回は、稀勢の里の子供時代のユーモラスな性格に焦点を当てて書いてみました。
稀勢の里の若い頃の画像も盛り込みましたので、どうぞごゆっくりお楽しみくださいね。
もくじ
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稀勢の里のプロフィール
牛久大仏と稀勢の里↓
四股名:稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)
本名:萩原 寛(はぎわら ゆたか)
生年月日:昭和61年7月3日(30歳 ※2017年2月現在)
出身地:茨城県牛久市(出生地は兵庫県芦屋市)
身長・体重:187cm・175kg
血液型:B型
所属:田子ノ浦部屋
得意技:左四つ・寄り・突き
現在の番付:新横綱
☆稀勢の里の詳しいプロフィールは、「稀勢の里の彼女や結婚・嫁取りは?弱い理由はやっぱりメンタル?」をご参照ください。
幼い頃からわんぱくで、運動が大好きなだった稀勢の里。
小学校に上がる時にはすでに、同級生の子供たちより頭2つ分くらい大きかったそうです。
担任の先生や同級生の友達に、「体が大きいからお相撲やればいいのに」と言われることもあったそうですが、当の稀勢の里ご自身は、「恥ずかしいからやだよ」と答えていました。^^
けれどもその言葉とは裏腹に、小学校2年生で地元の相撲大会に出場した稀勢の里は、年上の3、4年生を相手に5人を勝ち抜きます。
4〜6年生の時には、わんぱく相撲の茨城代表として全国大会まで出場し、両国国技館の土俵を早くも踏んでいました。
しかし、この頃の稀勢の里は、本格的に相撲に取り組んでいたわけではなく、小学校から中学校にかけて熱中していたのは、野球だったんです。
☆稀勢の里の野球時代については、「稀勢の里の両親(父、母)の出身は?子供時代の性格や昔の画像も!」に詳しく記しています。
余談ですが、稀勢の里の子供の頃の習い事は、習字・英会話・水泳だったそうですよ。
とりわけ英会話は、7年間も英語塾に通っていたそうですが、まったくできるようにならず…、稀勢の里は授業が終わった後に出されるおやつを食べに行っていたんだそうです。^^;
子供の頃の稀勢の里は食いしん坊だったと、母親の裕美子さんが書かれた手記にありましたが、本当にその通りだったようですね。^^
もし英会話をマスターしていたら、英語のできる横綱として、脚光を浴びていたかもしれませんね〜。
でも、英語を話している稀勢の里って、なぜだか想像がつきません(笑)。
☆母・裕美子さんの手記は、「稀勢の里の父親と母親の職業は?家族は芸術家だった?」をご参照ください。
稀勢の里の子供時代の性格はユーモラスな人気者!
稀勢の里は無口で無愛想な力士として語られることが多いですが、元々の性格は決してそうではなかったようだということは、すでに「稀勢の里の性格が硬派で嫌い?謎の笑顔の画像がもはや仏!」の記事で書きました。
その後、それを裏付ける稀勢の里の子供時代のエピソードがたくさん得られましたので、今回は、稀勢の里の子供時代の性格を、もっと掘り下げて見てみることにします。
稀勢の里の幼少期〜小学校時代
稀勢の里が通っていた、竜ケ崎みどり幼稚園(茨城県龍ケ崎市)の園長だった秋山治子さんによると、稀勢の里は幼少時から体格に恵まれており、しかも運動神経抜群だったとか。
おまけに誰からも好かれる人気者だったそうで、いつもお友達に囲まれていたそうです。
また、龍ケ崎市立松葉小学校で、稀勢の里が5、6年生の時の担任だった金沢泰治先生によれば、小学校時代の稀勢の里は、友達とおもしろいことを考えるのが大好きな、ひょうきんな子供だったということです。
そして、いつもクラスの男子の中心的存在で、やはり人気者だったんだそう。
稀勢の里の人気者ぶりがうかがえる、こんなエピソードもあります。
松葉小学校6年生のマラソン大会の時、マラソンが苦手な稀勢の里は、ダントツのビリになってしまいました。
でも、先にゴールした子供たちは、稀勢の里の元へ駆け寄り、声援を送って励ましてくれて、「ハーギ!ハーギ!」という歓声の中で稀勢の里はゴールしたんだそうです。
小学校6年時のマラソン大会での稀勢の里(左から2番目)↓
稀勢の里がいかにみんなに愛されるキャラクターなのかを裏付けるエピソードだと思いませんか?
もっとも、当の稀勢の里自身は、悔しくて泣きながら走っていたそうですけど…。^^
☆長距離走が苦手な稀勢の里については、「稀勢の里の両親(父、母)の出身は?子供時代の性格や昔の画像も!」の記事が参考になります。
ちなみに稀勢の里は、子供の頃から感情が豊かで、嬉しくても悔しくても、よく泣いていたそうです。
いつも土俵上ではポーカーフェイスを装っている稀勢の里ですから、2017年初場所で優勝が決定した時の稀勢の里の涙には、私はもちろん感動もしましたが、同時に少しの驚きをも感じてしまいました。
でも、稀勢の里が本来、感情的エネルギーが非常に豊かな方だと考えるなら、優勝決定時の涙も、それは納得のいくことだなぁと思いました。
☆2017年初場所で優勝が決定した時の稀勢の里の涙については、「稀勢の里初優勝おめでとう!2017年初場所を画像で振り返る!【後編】」の記事が参考になります。
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